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オタク絵師・若冲の知られざる一面とは

伊藤若冲生誕300周年を迎え、改めて彼の偉業を目にする機会が増えた。そんな若冲に、ビジネス手腕を振るった一面があったのをご存じだろうか。
京都・錦の青物問屋の長男として生まれた若冲は、仕事の傍ら(むしろ本業よりも?)趣味の絵画に精を出していた。40歳で家督を弟に譲ってからは、結婚もせず、酒も嗜まず、学問とも縁遠く、ただ絵に耽る日々を送ったと言われる。この経歴から伺える人物像と、細部にわたる緻密な描写にめくるめく色彩、狂気すら感じる彼の作風とがあいまって「若冲=変わり者オタク絵師」の像ができあがったのだ。 しかし、そんなイメージを覆す史料があると近年明らかに。きっかけは、日本商業史を専門とする滋賀大・宇佐美英機教授により発表された「京都錦高倉 青物市場の公認をめぐって」という論文である。営業停止処分を受け、窮地に追い込まれた錦市場であるが、この市場の再開に向けて粘り強く交渉をつづけていた年寄役が若冲だったのである。年号からひも解くに、このときすでに弟に家督を譲ってから20年ほどの月日が経っている。それにもかかわらず、農民のため商人のため市場に生きる仲間たちのため、奔走し掛け合いつづけた若冲。こんな実務家として心を砕いたエピソードを知ると、彼の絵もまた違って見えてくるのではないだろうか。

若冲の目と心に宿った、本質をつかみ、核へと迫る力。これも彼に、アートとビジネスを自在に行き来できる感性があったからこそなのかもしれない。さあ筆を取って、まずはじっくり観察することからはじめてはいかが?

アートアンドロジックとは